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2014年4月 1日 (火)

再審について

 このところ,再審についてのニュースが続きました。

 先週は,いわゆる袴田事件について,静岡地裁において,再審開始決定が認められたと報じられました。

 今週は,いわゆる飯塚事件について,福岡地裁は再審請求を退けたと報じられました。

 いずれのニュースも,法曹関係者のみならず,各方面に波紋を投げかけていると思います。ここでは,具体的な事件の内容や裁判所の判断の当否についてではなく,再審制度そのものについてちょっと触れてみたいと思います。

 ところで,みなさんは,権力,あるいは国家権力というと,真っ先に何を想定されますでしょうか。軍隊や警察を想起されるかたが多いのではないかと思います。あるいは,国会や政党内部において,数の論理に従って国会議員の取り込みが問題となると,新聞などが揶揄して「権力闘争」などという言葉を使ったりもします。

 立法権や行政権はもちろん国家権力ですが,私の印象としては,国家権力=裁判です。モンテスキューは,「人間の間でしかく恐るべき裁判権力」と表現したそうです。

 この裁判を権力足らしめているものは,裁判の最終性にあると私は思います。裁判は,紛争の対立する二当事者が,自己の主張・立証を十分尽くすことができる手続が保障されることを前提に,公平な第三者である裁判官が判断を下すという点に正当性の根拠があるわけですが,裁判官の判断は,終局的なものです。

 もちろん,制度上,一審制がとられたり,三審制がとられたりということはありますが,最上級審の裁判官の判断は最終的なものです。この点が,裁判を権力足らしめているのだと思うのです。

 刑事事件でいえば,判決が確定すれば,被告人の意思にかかわらず刑は執行されます。

 民事事件でもそうです。民事執行法
61項には,「執行官は,職務の執行に際し抵抗を受けるときは,その抵抗を排除するために,威力を用い,又は警察上の援助を求めることができる。」と規定されています。実際に,建物明渡訴訟などで,債権者代理人として,警察の援助の要請をするよう執行官に求めた経験もあります。

 裁判の最終性の例外は,恩赦ぐらいではないでしょうか。

 仮に,裁判に最終性が付与されないとしたら,当事者がいつまでも争えるとしたら,裁判制度は,社会制度として全く意味をなさないものになるでしょう。

 他方で,裁判官も人間であり,神ではないので間違いもあり得ます。間違った判決に拘束されることは正義に反する,その不正義からの救済として再審制度が位置付けられるのでしょう。

 歴史的に見れば,全ての裁判制度が再審制度を持っていたわけではないと思います。ある国家において,裁判を,社会統制システムと強く位置付けるほど,再審制度という概念は後退するでしょう。

 そのように考えると,裁判制度における再審の位置づけについても,もっと深い議論があってしかるべきように思います。現行の刑事訴訟法では,再審手続について,不明確な点が多いと思います。

 近時,元死刑囚の事件に対する再審開始決定がいくつかあり,その具体的内容は広く報じられていますが,同時に,再審制度の制度設計についての議論が進展することを望みます。

 ちなみに,再審制度は,刑事訴訟ばかりでなく,民事訴訟でもあります。

 私が目にした例で一番すごいなと思ったのは,ある株式会社の総会決議不存在確認判決が確定し,当該決議に係る関連登記が抹消された後,当該決議不存在確認判決が再審により覆ったというケースがありました。法的安定性が重視される会社訴訟の確定判決が覆るなんて,関係者にとっては大変なことだと思います。

 

http://yamato-law-accounting.com/

hy

 

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